高校時代の恩師外崎先生と22年振りに再会!

高校時代の恩師、外崎先生の古希のお祝い。楽しい夜でした。思い起こすとこの頃が人生のターニングポイントだったなぁ。

22年前は22歳だった(笑)


当時はよく先生の家に集まって飲んでました。まだデジカメもない時代。当時の写真を奥様が大切に保管していてくれました。

時代を感じます。笑

 

外崎先生は高校2年・3年の時の担任でした。穏やか人柄で、怒鳴られたりした記憶がないです(1年次担任の川浪先生にはよくぶん殴られてましたw)。

生徒からも人気があり、卒業してからは時々先生のお宅にお邪魔して飲み明かしてました。この頃東奥義塾は男子校だったら、ムッサい飲み会。笑

外崎先生は在学中も卒業後も、何か相談すると「雷佐は大丈夫」と言ってくれて。「いや、もっと具体的に何かアドバイスは?」と当時は思ったものですが、でもなんかそれが嬉しかったりもして。

その後、みんな全国に散らばって、なかなか会う機会もなくなり、ましてや先生のお宅にお伺いすることもなくなり。

そしてこの日「外崎先生の古希のお祝い」をきっかけに何人かが集まったわけです。やっぱり「きっかけ」って大切ですね。

 

義塾は人生のターニングポイントだった


私、弘前高校を受験して不合格で、東奥義塾に入学しました。当時東奥義塾は男子校。「人生終わった」と思ったのを鮮明に覚えています。笑

しばらく落ち込んでいましたが、学校から「特進クラスに入らないか」という連絡。そして両親が「せっかく義塾に入ったんだから、義塾でしかできないホームステイに行っておいで」と言ってくれて。

当時義塾高校では、夏休みにホームステイを実施してました。誰でも行けるわけではなく、面接があったように記憶しています。当時はアメリカカリフルニア州。その後ニュージーランドにも行ったとか聞いたなぁ。

まあ、この時体験したアメリカはホント衝撃的でした。だから卒業後はアメリカに行くと決めた。

結局、義塾のホームステイがあったから、卒業後アメリカに留学して。アメリカに留学したから、バックパッカーの旅に明け暮れて。その旅が楽しかったから、帰国後旅行会社に入社して。そしてたびすけを立ち上げたワケです。
そうそう、ブログを始めて2本目に書いたのが、バックパッカーの話でした。

バックパッカーの旅から見えた世界!ひとり旅が生み出す価値観とは?

弘前高校に合格していたら、きっと全く違う人生だったんだろうな。面白いものです。

 

そして、すっかり忘れてましたが。。。

 

22年前に貸したCDがやっと返ってきました。笑

 

 

この夜撮った写真。在学中も今も、私の良き理解者である外崎先生。いつまでもお元気で!

ブログをメールで購読

投稿者: 西谷 雷佐

青森県弘前市出身。 東奥義塾高等学校を卒業後、ミネソタ州立大学マンケイト校で産業心理学とスピーチコミュニケーションを学ぶ。 たびすけ合同会社西谷代表を務める傍ら、路地裏探偵団の団員としても活動中。 まち歩きや地域の魅力発信から婚活まで講演活動多数。